うっすらした記憶ではありますが、当時のことは驚きとともに覚えています。
私鉄路線の支線終着駅がかなり山奥まで延びていまして、その駅周辺に人工3万人、総面積346万㎡のニュータウン構想のもとに宅地が開発されていました。
子供の頃大阪市内に住んでいたので、そこは遠足の際に自然を求めて遠出するところとして記憶されている地域でした。
もともと山でしたから当然ですが、そこそこの起伏・傾斜・勾配のある造成計画で、駅前にある営業所から歩いて分譲地現場に向かうと、はあはあ言ってたことを思い出します。
6〜8000万円というような建売分譲住宅が立ち並び、今から思えばどういう受付ルールになっていたのかなと思いますが、売り出しの際にはアルバイトを雇って1人のお客様が複数申し込むというような裏技も横行していました。
若い人は「どこの国の話ですか??」と思われるかもしれませんが、当時は抽選で当たって購入のあかつきには翌年売却しても多額の利益が得られるような状況でしたから、そのような異常な活況に沸いていた訳です。そういう事情もあって山奥の私鉄終着駅の高級分譲住宅街は引き渡し後も、すぐには入居されない物件も多く見かけました。
人気エリアの新築分譲住宅は、高利回りの投資商品としてもてはやされていたのです。
建てても建ててもすぐ売れるという環境で、土地は山ほどあり先輩社員は「今、全部売っちゃえばメチャクチャ儲かるのになあー」と口々に言っていましたが、会社としては街の健全な発展の為あえて供給戸数を限定し数十年かけて一定ペースで販売していくスタンスでした。
↑バブル当時の高級分譲住宅の屋根は形も色も様々で空から見ても分かっちゃいます
電気工学科を出て、それまでアパレル企業で商品企画の仕事をしていた私は住宅建築については全くのシロウトでしたので、特にこの『高級住宅』を興味深々憧れの眼で見ていました。
なにしろ、自分なんかでは到底組めない金額の住宅ローンを組んで人生の成功者といわれる人たちがこぞって買い求めるという住宅です。
「坂の上の雲を見つけて登っていく」ような時代感覚再び、気持ちの高ぶりとともに高額商品に携われる自分までもが出世したような気分になったものでした。
しかし、率直な印象を言えば「これだけ出してこれ?これはいらんな」というもので、落ち着かないというか、どうしても住みたいと思えませんでした。
当時、その理由をうまくは説明できなかったのですが、その違和感みたいなものがその後30年も追求するテーマになってしまった訳です。
皆さんは、『高級』とされている住宅を見て「こんなに高いのに、これ?」って思ったことありませんか?