『雑木林に住む』(鳥編)からつづく
自然にまかせる「庭」
庭にやってくる猫たちは首輪があったりなかったりですが、ほとんどの子はどこかで食べるものをもらっている様子です。みんな見たところ栄養状態もよさそうです。鳥たちは、猫ほどは人から食べ物をもらってはいないと思いますが、食べ物を探し見つける「能力」に長けている感じがします。庭に鳥が集まる要素は植物があって身を隠しやすいこともあるようですが、より重要なのがそこに「食べ物」があるかどうかであると思われます。
自宅の庭では「消毒」をしたり「殺虫剤」を撒いたりしたことはありません。 桜の木の葉は毎年すぐに穴だらけになりますが、自然にまかせています。どうせ秋には散ってしまって、ゴミ袋に詰めることになるのですから、若干は「軽量化」になっているかもしれません。自然のままにしていると、そのにはいろいろな虫がいて、それを食べに動物が来て、そのせいで少しばかり土が肥えて、彼らに運ばれた種が発芽して、また新たな虫がそこで生まれて、毎年毎年庭の環境がぐるぐるまわっているのです。
「サバイバル」する者たち
このあいだテレビで動物写真家の方が山の中で動物を撮影するドキュメント番組を見ました。最近では動物の通りそうな場所に赤外線センサー付きの自動撮影カメラを設置して、後日回収に来るという作業をされているのだそうです。その方曰く、以前は何日も山の中にこもり、陣地を作って雨風を凌ぎながら機会を待ったのだそうです。
そのようにして来る日も来る日も、動物の生態をそのまま写真に収めるという事に情熱を持って取り組まれてきたというのです。動物も山の中でサバイバルしていますが、写真家もサバイバルしないと撮れなかったのですね。最近では「仕掛けカメラ」が進化を遂げて、いい写真が格段に撮りやすくなったと嬉しそうにされていました。
今回は猫や鳥に食べられる側のメンバーを紹介する内容です。 自宅の庭でのことであっても、もし庭に出て過ごす機会があまりなかったり、家の中から庭が見えるようになっていないと、なかなか彼らの暮らしに触れることはないものと思います。「そんなの触れたくないわ」という人もいらっしゃるかと思いますので、今回は「閲覧注意!」としました。
録画時の音声には様々な日常の音や声が入り混じっていて、以下の動画では音声NGなものは例によって無音にしてあります。あしからず。
※動画右下のアイコンをタップしていただくと全画面表示になります。
↑桜の木の下で遭遇した「空飛ぶあおむし」
↑庭で生き残った「あおむし」は「蝶」になって、ちがった姿を見せてくれます
↑戸袋から出てきたら、網戸に閉じ込められ慌てているヤモリ(戸袋内はヤモちゃんのアパートになっています)
↑網戸を開放後の「脱出成功の図」
↑どうも、こういうところが落ち着くようです
↑常に水を張っている訳ではないのに蛙がよくいます。いたので水を張ってあげています
↑雨の日には幾重にも重なる縄張りが、出現します
↑毎年庭で生まれてきて、庭で生涯を終える蝉がいるようです
↑トカゲのしっぽを見ると、今でも追いかけたくなります(動体視力が必要です)
↑やはり、みんなこういう場所が落ち着くようです
本当の庭の「価値」とは?
下町の長屋で育った私は、自然は近くの空き地などに出かけていって感じるものという子供時代でした。工業地帯にほど近い住宅密集地では「自然」は非日常であったのです。自宅で身近な自然に囲まれるという感覚は最近になって理解しました。世に数多あるモデルハウスなるものには、庭らしい庭のないものも多く存在します。
せっかく植栽を施し庭がしつらえてあっても、2〜3年で解体されるものも多くあります。いろいろな生き物が暮らす、自然としての環境になるまでに木が植え替えられ、庭が作り替えられてしまうのです。その場所を訪れるお客様に、本来の庭の姿を感じてもらうことなくリセットされてしまうのは惜しい限りです。
永年のあいだ鹿児島でお世話になったモデルハウスは、未だ現役です。私が鹿児島に移ってきた頃に新築されたので、かれこれもう20年以上になります。複数のモデルハウスが立ち並ぶ住宅展示場ながらも、そこには蝉が土から出てきたり、どこからともなく猫や鳥がリピートする自然な庭があります。時間の経過とともに自然とともに整った環境を感じていただける場になっています。
一般的に20年超ともなるとモデルハウスとしてはもう古いということなのかもしれませんが、その場所に出来上がった環境がもったいなくて決して壊す気にはならないのです。
社長の会社のモデルハウスには、庭がしつらえてありますが?そこは、時間を経て生き物が普通に暮らす自然を感じることができる環境になっていますか?