住まいの『アフター』考(その3)からつづく
「つくり手バカ」からの脱却
これまで住宅にかかわってきて、多くのプロの方々に出会いました。その中で「木はもちます。」「木はもちません。」という両方の意見に接してきましたが、後にどちらも施主にとっては不親切な見解だったことが分かりました。
それは、事実上「知りません」と言っているのに等しいぐらい本質を現していません。あたりまえのことですが、使う場所や環境、加工方法や保護手法によってどちらにもなるからです。施主はその「条件」をエビデンスを持って教えてくれることを望んでいるのに、プロが紋切り型で「もちます。」「もちません。」などと言っている場面に数多く居合わせてきました。
社会人になってから建築士の勉強をひととおりしましたが、テキストには「そもそも」が書かれていないことも多々あるようです。でもその書かれていない「そもそも」が、いちばん大切だったりするのです。重要なのは、現象自体よりその背景にある理屈なのです。なぜそうなるのかを考えられる力を持つことが必要とされています。ひと昔前と違って、いつでも誰でも物事のエビデンスを調べることは容易なことなのですからプロとしては当然とも言えます。
住宅を提供することを生業にする以上、お客様に先立ち試す姿勢はぜひ持ちたいものです。手段は別として、そういった興味は無くしたくはない。仮に、食べ物商売ならば「試食」せずにお客に出すようなことは皆無かと思います。リピート購入の機会は少ないかもしれませんが、住宅という食べ物よりもずっと味わう期間の長いものを提供しているのですから、住み始めて10年超の現実を知るのは至極当然のことです。
「フェイク化」するブランディング
「ブランディング」という言葉を目にしたり耳にしたりすると、最近どうも気になってしまいます。
マーケティング寄りな解釈では、ブランディングとは「ブランド」を形作るための様々な活動を指して使われる言葉です。つまり、自社の商品の価値をブランドとして明らかにした上で、そのブランドの価値が正しく伝わるように様々な施策を打っていくということだそうです。
いっぽう、ブランディングとセットにして語られる「ブランド」という概念は、約束事そのものであり、その「約束事の想起につながるあらゆるもの」を指します。
「私たちはこの商品を通じて、あなたに●●という価値を提供します」
これらの約束事を顧客に信頼してもらうためには、それらの約束事があらゆる場面で果たされてきたという実績 が必要です。その実績がブランドの価値となっていく訳です。
しかし、その「約束を果たす」ということよりも、そのブランドの価値がより良く伝わるように様々な施策を打っていくことのみが、一人歩きしている例がおびただしい頻度で見受けられます。特に住宅産業ではこの傾向が顕著です。「約束を果たす」ための売り物を磨くことはそっちのけ(または人任せ)で、より良く見せることに集中しているように見える訳です。決して当事者にはそういう意識はないものと思いたいですが、そのアウトプットは結果として「フェイク」とも言えるものになる要素を持っているのです。
提供する住宅を構成する要素には、他社の保証がついているものが増えてきています。それはたいてい10年程度のものです。ペナルティが強化された法律に沿った形で、事業者のリスクヘッジとしてそのような運用になっているものと思われます。売っているほうは「大船に乗ったつもり」かもしれませんが、住む側から見ると10年の保証(しかも小さな文字の免責事項満載の)なんか大した価値はないのです。「約束した価値提供を果たす」ということが、やはり本質なのです。
「アフター」を施主と学びあう機会に
先日、シンケン時代に担当させていただいた住まい手の方と飲みました。久しぶりに会うと、家族のこと、仕事のこと、趣味のことと話は尽きることなく盛り上がる訳ですが「自宅のアフター」についても酒の肴になります。元々は私の方がお教えする立場であったのですが、いつの間にかお互い教え合うようになる関係性はここちいいものです。営業マンと施主ではなく、住まい手どうしで試したことを共有するのは楽しいのです。実践者の口からあふれ出る「間違いない、使える知見」は何よりのものです。
家をつくるばかりで、こういった場に居合わせることのできない工務店担当者はいつまで経っても「10年後以降の世界」を知らないままです。そこに本来の「約束を果たす」ブランド価値が宿るものかは、甚だ疑問に思うのです。
社長は皆さんおっしゃいます。「相見積もりや値切られるのはイヤだ」と。では、質問です。もはや価格では比べられないほど「未来の生活を豊かにする知見」を磨くということを実践されていますか?