なぜ『家庭菜園』が欲しいの?
長い間、住まいづくりの仕事をして来ました。
施主が『家庭菜園』をご所望になるケースも多くありました。野菜づくりのご経験は様々で、どちらかというと未経験の方のほうが多かったように思います。
「せっかく自分の土地を買ったのだから、小さくていいので「畑」が欲しい」との声に、それなりに答えてきたつもりでした。しかし、その言葉の「本質」を捉えきれていなかった事に気が付きました。
自分の家を建てて子供が巣立ち、自宅で食事を取ることが多くなって、感じ方が変わってきたのです。営業マン時代は、休みも少なく自宅での食事もバタバタしていましたので、ようやく「当事者」になったと言ったほうが正しいかもしれません。
キッチンやダイニングからいつも見える場所に『家庭菜園』を設えました。妻が立ったまま世話のできる高さにしたら、室内から見えるビジュアルもいい感じになりました。





『家庭料理』が豊かになって価値がある
子育てを終えると、夫婦いっしょの食事が増えてきました。年齢と共に食べたいものにも少しずつ「変化」が訪れますが、旬の採れたて野菜の味は身も心も喜ばせてくれます。
「畑」は「家庭料理」になり「季節の味」になって初めて「喜び」に変換されるのですね。単純な事ですが、家づくりで目の前に浮かぶ優先事項に目を奪われていると、そんな事でさえ気づかないのです。




畑ができる前は花を育てていました。蝶々が飛んでくると「あ。蝶々!」みたいな感じでしたが、畑ができると「また卵を産み付けに来たな💢」に変わるのでした。
最初は「見た目重視」で不織布のカバーは無しでしたが、あっという間に穴だらけになっていく葉っぱを見ていると、すぐに気が変わりました。「農家マインド」になっていくのです。



夏場になると葉物は食べ尽くしてしまい、ビジュアルは今ひとつになってきました。ナスやキュウリは今ひとつでしたが、ミニトマトが毎日順次色づいて食卓を楽しませてくれました。



秋から冬の時期も楽しめれば「本物」
夏が過ぎると、改めて土を整えて種をまきました。鹿児島の冬はなかなかやって来ませんので、まだまだ楽しめそうです。 小さいながらもしばらく畑をやっていますと、作物はやはりコスパと言いますか、収量の多く安定した面々になっていきます。毎日の食事に、パッと取りに行ってサッと使えるのが何よりです。近所のスーパーで売ってないものなら尚嬉しいものです。
本格的に畑をされているご近所さんに、根っこの付いたままの野菜を大量に分けてもらう事もあります。そういう時はしばらくの間、自分達の畑に植えておいてキープする事もあります。たくさんもらえた時の鮮度維持にはいい方法です。ネギなどは使った残りの根っこのところを植えておくと、また伸びてきます。少しだけでも畑があるといいですね。





「畑」の紹介というより「食レポ」のようになってしまいました。でも、それでいいのです。
有名な格言のひとつに「ドリルを買う人が欲しいのは穴である」という言葉があります。経済学者であるセオドア・レビット博士が1968年に発表した「マーケティング発想法」という本がその出典です。それに従って考えてみると、「畑」を要望する人が欲しいのは「収穫のある生活」です。おそらくそれは誰もが取組めて『家庭料理』が豊かになるという、ハードルの低いものでしょう。
そう考えると、余った土地の片隅に土を盛って囲うだけでは不十分であることは、すぐに分かるはずです。日当たりのことはもちろん、水やりの際の利便性、多少の道具や余った土や肥料などを保管しておく場所だって必要でしょう。プラン図に「畑」と記すだけでは「合格」とはなりません。「収穫」を楽しむ感性が求められるのです。
社長の会社ではお施主様から「畑が欲しい!」と要望されたとき、どのような対応をされていますか?まさか「エクステリア屋さんを紹介しますので建物完成後に相談してみてください」などと、言ったりしてないでしょうね?